レ・ミゼラブルー人は自分のうちに

誰もがその胸の内に神そして、愛を宿す

先日の夜、遅まきながら『レ・ミゼラブル』を観に行ってきました。

レイトショーって安いんですね。1000円ですよ!

世の中の流れに疎いと再認識しました。

 

それはさておき『レ・ミゼラブル』。

ラッセル・クロウ扮するジャベール警部に「もうジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)を許してやれよ!」と何度も頭に来ながら。。

そして、アン・ハサウェイ(ファンティーヌ)にうっとりしながら観ておりました。(笑)

 

一番感じたことを少し書きます。

それは、それぞれの登場人物が孤独を抱えながら自分の人生を懸命に生きていること。

ある者は法に抗いながら、ある者は使命感に突き動かされながら、そしてある者は過去に生きながら、そして互いにこの世の地獄を見ている。

 

誰も自分の人生ということにおいては悪は存在しないのに。。

すべての人々が孤独を感じながら、社会や法、集合意識の中で無情にも色分けがなされていく。

 

しかし、司教の差し出した銀の燭台に象徴されるように、人は『神からのギフト』によって『愛』に気づき生かされていることを悟る。

そしてジャン・バルジャンが天に召される時、女神のようなファンティーヌが現れ、安らかな気持ちで旅立っていく。

 

この映画の中で『神からのギフト』は人から与えられたものになっています。

しかし、誰もがその胸の内に神(創造主)を宿し自ら与え給うことができるのです。

その象徴が女神ファンティーヌであったと思っています。

 

私の中にも女神アン・ハサウェイが。。(笑)

 

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